殺人犯を処刑してよい論理構成

はてなの上手な使い方が全然わからないで、ふらふらしてたら

死刑について書かれてた方がいらっしゃったんで、その方の意見に応えて

あと死刑存置派、廃止派の論点なんかを少し書きます。

まず、その方は (回虫さん 死刑廃止:議論に向けてのメモ)

人を殺してはいけないといったら「法」は人を殺しちゃいけないんだよ、それがタテマエというものだ

とおっしゃっていて、察するに範となるべき法が人を殺すことに抵抗感があるようです。

確かに、なぜ国は、あるいは法は人を死刑という形で殺すことができるんでしょうか?

その論理構成は、一般に社会契約説に基づくものと考えられます。

すなわち、社会に所属し、保護や利益、権利を獲得できる代わりに、他者に対して権利を侵害しない義務を

負っているという考えに立つわけです

さすれば、日本において死刑になるのは殺人犯(外患誘致とかあるが、書いてあるだけだし)のみですから

彼らは契約を破棄したため、命を保護してもらう権利を失っていると考えられるわけです。


っで未だに存置、廃止の両陣営の戦いは続いているわけですが(日本では9:1で存置が有利か!?)

少なくとも自分の妄想では、廃止派が存置派に対し、論破されない武器は唯一「冤罪の可能性」のみであります

違憲問題、目的刑問題、人権問題、あらゆる面で存置派は論破が可能です。

もしかしたら逆も然り、かもしれませんが、現在日本には死刑が存在していて、大多数の方々(内閣府の調査では9割近く)

が支持しているわけで、ある制度を変革、廃止するには、廃止する側が相手を論破せねばなりません

この点をよく皆さん見落としがちです。

「何が正しい」のか、議論する際、その立場は常に対等であるわけではありません。常に訴える側、現状でない側が

不利な条件を含めて覆す必要があるのです。

そして、最後に結論を。法とは社会秩序の維持のための道具に過ぎません。

死刑存置を主張する国民が、国民の大多数であるということは、唯一のウィークポイントである

冤罪の可能性について、受け入れるということです。実際冤罪について聞けば、ほぼ全ての人が

三審制もあり、私はそのリスクよりも死刑によって得られるリターンを受けたいというでしょう

それについて、想像力の欠如など誰が批判できるんでしょうか?

議論において、人の論理矛盾や論理的に弱い点をつくことはできます。しかし人の考えそのものを攻めることは出来ませんね

知識人ぶって死刑廃止を叫ぶ方々(消極的にも)はこの点を理解していない方が多いように思います。

自分は、大多数が納得する制度、それこそが正しい法であり、よって死刑制度に関しては存置しかないと妄想します。