備忘録本編2

引間徹 「19分25秒」×
競歩をテーマにしてることは独自の切り口で評価できる。
しかし、主人公が内定を簡単に取り消したりと、現実とコミットできていない
ので共感できない。(特に、社会を捉えている作品だから)
最後までいくと完全に自分の心は離れた。短いのが救いか

田原総一郎編 「皇室は必要か」×
朝生のまとめ本。好きな人もいたので読んだが凡庸
まあテレビを見ていればわかるが、深いところには全く踏み込まないし
的外れなことをダラダラ、会話をぶつ切りにのっけている

見沢知廉 「天皇ごっこ」○
鈴木邦男から知ったが、大学で立てかけてあった看板によれば
ゴスロリ作家雨宮なんたらの師匠的存在らしい
しかし、元左翼で、右翼転向後殺人者に、自殺とすごい人だな
本は良作だが、そんなパワーは感じなかったが・・

池上彰 「ニッポンほんとに格差社会」△
自分好みのデータがまとまっていて、ちょくちょく使いたい本
といっても、そこまで不公平でも不正確でもないと思うし
印象論で語られがちだから、こういったデータも見とくべきだと思う。

猪瀬直樹 「日本システムの神話」×
こいつはえらそうに語っているが、大したことないやつだと思う。
下らないアイディアしか出せていないのにお決まりの旧体制批判
まあそれなりに正しいのだろうが、魅力はゼロ

中川右介 「松田聖子中森明菜」□
日本社会とJ-POPをリンクさせ、それを冗談ではなく成立させている。
その手・腕・には感心。日本を堕落させたのは松田聖子(山口百恵)だったのだ!(笑)
実際笑いにならないとも思う。アメリカでギャングが増えたのは映画「カラーズ」
とN.W.A.の後とも言われているからだ

保坂和志 「この人の域」△
芥川賞受賞作品。
読み直し。気が向いたのでまた手にとって見た本だが
作者の理想と思うものを小説に入れている感じがする
しかし、普通はそのため異物感や違和感がでるが、短いセリフの流れが
それを感じさせない。いい空気はかもしてるが、惹かれる引力は感じないか

小林洋子 「博士の愛した数式」○
映画化されてもいる作品。実際とても面白い
ただし、最後には大きな不満。最後がよければ◎だったが・・残念。
しかし、この最後は作者の傾向が出ていて、結局自分とはあわないのかも

横山秀夫 「第三の時効」□
少し話題になっていたので読んでみたが相変わらず面白い。
小説の場面は他の小説とつながっていて、それもまあ良い
しかし、前作を大きく超える面白さは彼には出せないだろう。

城山三郎 「総会屋錦屋」□
読み直し。城山の作品ではじめに読んだのが本作だった
重いという言葉が似合う作品を作る人だし、今の小説家たちの
軽さに飽きると読みたくなる。
高級レストランに毎日行く人も愛着を持つ人もいない。


この辺の序盤は皇室ネタがやや固まっていたみたいだ
読み直しが2作あって、全体としては読書が停滞していたのかな。

備忘録本編1

奥泉光「石の来歴」◎

芥川賞受賞作品。
相当面白く、現実と虚構の境界の喪失は、主人公の心理を描写ではなく
見事に伝えてくれる。収録されている鯰の話も「良」
ただ、この作品以外の作者の作品は面白くない、実験的過ぎる感じがする。

小池真理子「恋」◎

直木賞受賞作品。
小池真理子は結構馬鹿にされる作家だけれど、例えば夫の藤田宜永に比べて
明らかに恋愛を上手くかけているし、むしろこの方以上に非現実(小説的リアリズム)
な恋を説得力を持って描ける人はほとんど見たことない。
この作品も、とことん官能的でありながら臭さがない。ただ、逆にそれが欠点でもある。

北原亞以子「恋忘れ草」△
短編で、同一時代場面上(しかも時代は江戸)という誰がやっても面白いであろう話
それを、普通に面白く作ったという感じ。ただし、それぞれの話が絡み合うっていう
当然の書き方をしてないのには疑問・・

白石一文「一瞬の光」△
軽い作品。そのため一気に読める。
逆に話の流れが凡庸。

姫野カオルコ「ツ、イ、ラ、ク」□
濃厚な、かつ淡い官能の世界。少年少女の青い爆発が良い
しかし、後半の、その後・・・的なのは蛇足
このレベルが自分にとっての及第ちょっと位にしたい

町山智浩 「<映画の見方>がわかる本」△
ライムスター宇多丸のラジオ(タマフル)を聞いたり、ストリームを聞いているので
町山さんも知った。彼の言う「映画評論」の方法論が全てとは思わないが
間違いなく「今」のメインストリームだし、その生みの親の一人だと思う。
収録の2001年宇宙の旅の解説(裏話的)は面白い!

鈴木邦男 「夕刻のコペルニクス」(+続・3)□
右翼一水会の生みの親。たかじんの・・・委員会に出てて、非常に
落ち着いた人がいたので気になって、読んでみた。
話半分で聞いていたとしてもなかなか面白い。

井上ひさし 「日本語よどこへ行く」×
日本語について勉強しようと思って借りた本の一つ
ハズレ。ただのありきたりな話をしている対談本に過ぎない。

川上健一 「翼よいつまでも」○
爽やかで、青春の味がする本。
古きよき社会を20にもなっていないのに感じ、喪失感すら味わった
多少荒く、惰性な部分もあったが、小説で味わいたい感覚があった。

竹田恒泰 「語られなかった皇室たちの真実」□
個人的に皇室に対して敬意(親が古臭い家だからか)を持っているが
それを強化するものとなった。WW2時の皇室の裏話には感動した。
ただ、自分の周りもそうだが、ほとんどの人が皇室に興味をもってないが
その人たちを振り向かせられるかと行ったら微妙。まぁ皇室関係本では最高の一冊じゃないか・・


自分のメモがなくなってきたので、読書後の一言メモをネットに移すことにしました。
映画のメモもあるんで順じ自分の備忘録として載せていきます。
題名の横に評価を◎、○、□、△、×の五段階で示します。

日本人が英語が出来ない、唯一ではない1つの理由

単語力。これ以外に英語ができない本当の理由は実はない。

1.自分に何かが足りないと思い込んでしまう
2.お互いに牽制しあう
3.人のせいにする

情報を自分の脳みその中で判断する技術を先ず身につけ、全てを一度削ぎ落とさない事には、きっとこの先には進めない。


いわゆる、日本において英語力が低いというのは当然に相対評価であり

それは、主にTOEFLの得点の平均値などの順位において判断されていると思います。

ググッたところ、古いデータ(1999‐2000)しか見当たらなかったんで申し訳ありませんが

日本の平均得点は、171カ国中150位アジア25カ国中でも20位です。

一見、やはり日本の英語力は低いように見えます

しかし、データをよく読めば、そんなことはないということがわかります。

問題点は簡潔に言えば2点です。

1.日本人のTOEFL受験者が多い。

2.英語が公用語、準公用語あるいは共通語である国がある。

まず、前項について。

日本のTOEFL受験者は約10万人もいるのです。

これがどれだけ多いかといえば、人口十万人あたりの受験者数が日本が約80人に対し

1位のノルウェー、2位のスウェーデン、3位のホンジュラスがそれぞれ、1人、1.5人、1.3人です。

アジアに限っても(2003−2004のデータ)、1位のシンガポール、2位のインド、3位のパキスタンがそれぞれ、
5.7人、4.5人、3.6人です。

つまり、まったく受験している層が違うわけです。裕福で、英語力検定が大好きで*1、学校で受けるような

日本の一般層と、留学するために受ける各国のエリート層とを比べることに無理があるんです。

次に、後項について。

アジアにおいて、トップ8位までは全てイギリス及び、アメリカの植民地であった経験を持っています。

つまり、そもそも英語がしゃべれる人間が多いんです。公用語や準公用語が英語の国と比べることにも無理がありますね

そして、その日本の平均スコアが絶対的に低いかと考えても、多くのアメリカの短大、大学が、外国人留学生の学部への

入学基準をTOEFL500点に定めているところをかんがみるに、むしろ一般層がアメリカの大学に入学できるレベルの英語力

を持っていることは、驚異的なことではないかと思います。

つまり、何故日本人は英語が出来ないかという、唯一ではないが1つの有力な理由は

他国での英語力を比べる際に使われる「○○人」という枠に比べ、「日本人」の枠が広すぎる点に在るのではないでしょうか


そして、最後に補足を。

なぜこの理由が唯一ではないと前置きしているかといえば、データの問題はともかく、実際に日本人が英語を利用する

能力が低いという実感と、それを裏付ける経験があるからです。(簡単な例では、外人に道を聞かれてびびっちゃうとか)

だから、どうすれば、日本人の主観における高い英語力が手に入るかという方法論も示すべきかと思います

(それは、すなわち何故英語が出来ないかの他の理由でもあるわけですが)

その方法とは海外に行くことです。海外に行けば数ヶ月もすれば十分に利用できるようになります。

これは結構コモンセンスだと思いますが。

つまり、他の理由とは、使うべき環境がなく、そのために利用することになれていないということでしょう

本当に当たり前のことですね(汗)

ただ、地力はあるということと、「英語力」と「英語を利用する力」は別個ということを強調したかったんです。

*1:eigoTown.comによると日本で受けれる英語試験は35にのぼり、毎年300万人が受けている。

命に対してバカになれ!

僕も何度も言及していますが、世界的な傾向としては死刑廃止、または執行数の減少という方向にあることは、
すでに知っている人にとっては常識となりつつあります。が、もっともっと周知されるべきだと思います。
諸外国を真似ろというのではなく、死刑が「当たり前」でもなんでもない、我が国の積極的な選択なのだという認識のために。


僕も死刑存置派の主張はだいたい理解しているつもりです。しかし、これだけ国際的な批判や、世界的な傾向に逆らって
死刑を存置しつづけるわけですから、存置派は今後さらに強い説得力のある議論をしてもらいたいものです。

存置の理由一つ一つを言うときには「世界的には廃止や抑制の傾向にあるが、しかし執行数を増やす理由は…」
とつけてもらいたい。

*1

前にも書いたが、死刑廃止派の方々のなかには、上記のように、勘違いされている方が多数いらっしゃる

諸外国を真似ろというのではないのなら、何故世界の傾向に逆らう時、既に制度が存在している側が

立証責任を負うのか?まったく理解できない。

大原則として、制度の改変を求める側が、その合理的理由を提示する義務を負うのだ

そして、廃止派の方々もまともな方ならば認めざるを得ない事実として、冤罪に関する点でしか

合理的理由は廃止派は提示できない(少なくとも出来てはいない)

この点に関して、国民がどう感じているかといえば、社会でリスクを背負うことを否定しているわけです

ならば、廃止する理由はどこにもない、よって既にある制度である死刑制度は、このまま存置される

これが、死刑制度存置、廃止派どちらでもないが、傍から見ていての必然的に導き出される結論だと思うが、どうだろうか。

何で自殺ってしちゃいけないの?生きるのも死ぬのもそいつの自由だろうが。
という疑問に対して長らく答えを出せずにいたのだが、最近になってようやく自分の中で一つの答えが見つかった気がする。


極端な事を言えば、テレビやネットで「増え続ける自殺者の数」を目にするだけで
「俺が自殺しない理由」はどんどん説得力を失っていくのだ。


というわけで自分の考える、「自殺をしてはいけない理由」は「自殺は周囲の人間を引きずり込む力があるから」とする。

結論から言えば、自殺が自殺を呼ぶのではなく、自殺を考えることが自殺を呼ぶのである

だから、上記主は自ら自殺をしてはいけない理由を提示しながら、その実、自らの提示によって

自殺しない理由の説得力を落としていることになる。なかなか面白い矛盾だと思った。


っで、上記2つと自分の無差別殺傷事件の考察を踏まえると、命に対しての理解は不必要なんじゃないかと思った

命を無視すること、これはすなわち中世以前の世界をイメージするかも知れないが、現実問題として現在まで

人道的な歴史は積み上げられてきている。そして日本においては少なくとも生きるうえで障害はほぼゼロと言っていい

であるならば、全く理解できていない命に過大に意味を持たすことに何の意味があるのか、むしろ害悪しかないのではないか

無差別殺傷事件が、起こすためのコストに比べ、死が過大評価されているために、受けるリターンが過度に大きくなっている

そのことが引き起こす原因と指摘したが、自殺に関しても、例えば社会に向けての訴えとして自殺するケースの見ても

死が過大評価されていて、そのために、ある種費用対効果の高いツールとして使われている感は否めない

自殺してはならない理由をあげることが出来ない状況で、命について考えれば、すなわち命の価値付けが出来ずに

仮にゼロとして設定される可能性も非常に高く、その一方で社会内での価値付けが過大であれば、そのギャップに

十分な人生経験をつんでいない人間は陥るのではないか

また、死刑に関する、わが国の不毛な議論は、ここに端を発しているように感じる。

命の価値に目を回して、社会のシステムとしての捉え方が十分に出来ていないのではないか?

繰り返しになるが、命に安易に近づく行為は、夜の海を眺めるように飲み込まれてしまうのではないだろうか

だから私は、命に対してバカになれと、宣言する。

考えないことの重要性もポストモダン期ならばもっと指摘されてしかるべきだ

(もちろん以上の妄想は、自殺してはならない理由を説明する対象、また無差別殺傷事件をおこす対象に対してのもので)
(経済的原因の自殺などに関しては当然別の妄想が必要になる。)

*1:一部編集

追々記 慶應大麻騒動、修正はこちらで

色々指摘、アドバイスなどのコメントがついて、世間での影響も大きかったんだな

っと実感していますが、私の正確ではない情報につき、指摘してくださった方もいらっしゃっり

修正が重なりそうなんで、修正についてはこちらに今後は統一します。

情報お持ちである方は、こちらにコメントを付けてくださると見やすいかと思います。

(修正1)

オールスターの話は中等部ではなく、塾高ではないかという指摘

→いまだ確認中ですが、確かに逮捕者も塾高であり、彼もオールスターの一員であったような
 話ですので、塾高であったと思われます。

(修正2)

慶應の影響力を考えると解決は困難と書いたんですが、今後10人規模の逮捕者が出るのではという

情報が来ました。警察も本気ではということです。

よって、コメントを残すために記事自体は消しませんが、追記についてはたいしたことも書いてないんで

内容を消しておきます。

慶應大麻騒動、その実情暴露レポート (修正後)

慶応大の学生2人が学内で大麻を売買したなどとして、今月上旬、神奈川県警中原署に大麻取締法違反(譲渡など)
の容疑で、逮捕されていたことが30日、分かった。

まず既に報道されているように、大麻を売買していたのは下から上がってきたやつらです

大学受験界では、私学の雄であり、実際難しい大学ですが、その付属はどんな実情なのか。

想像を絶する世界が広がっています。

例えば塾高では、内部にはオールスターといわれ、恐れられているグループがあり

そいつらは学食でも定席*1があり、学内では十分に認知されています。

っで奴らが何をするかといえば、麻薬、暴行、恐喝など

酷い一例として、国会議員のHの息子がボコされて、金を請求された時には、彼がばっくれようとしたために

ヤクザまで介入し、300万で示談した事例もあったとか・・

慶応大の男子学生2人が大麻取締法違反容疑で逮捕された事件で、同大の森征一常任理事は30日、東京都港区の
三田キャンパスで会見し、「大変残念で痛恨の極み。お騒がせして本当に申し訳ない。今後、2人から事情を聴き、
事実の解明に努めたい」と陳謝した。


慶応大では、平成16年から今回のような学生による大麻の不祥事が毎年発生しており、今回で6件目。森理事は
福沢諭吉先生が創立して以来、学生に信頼をゆだねた教育を続けてきた。慶應義塾として、今後はきちんと対応策を
考えないといけないと思う」と沈痛な表情で話した。

まず、大学での事件の数なんて数えても意味がないということは、もうお気づきと思います

問題を起こすのは、全員内部進学者で、大学から入学した奴らはまず無害です。

っで、なぜこのような内情まで堕ちているのか。

多くの人は、ステレオタイプな金持ち観で、金持ちだから心がゆがんでいるとか

考えるかも知れませんが、違います。その原因の多くが学校のせいと私は妄想しています

慶大理事の森さんは、学生に信頼をゆだねてきたなど、責任逃れをしているが

慶應では、コネなどがない生徒は多額の寄付金が請求され、払わなければ単位が与えられず

退学になる寸前まで延々と高校生活をやらされます。(退学したらもう金が取れないんで、退学寸前に大学に上げます)

また、オールスターの連中は警察のご厄介にも当然になっている上にテストもろくに受けてないので留年しています

逆に、コネのある生徒などはろくに勉強もしてないので、英語や数学など中学生レベルの人間なども珍しくもありません。

しかも、そういった人間でも大学にいくときには(文系ならば)経済学部には普通に進学できます

先にあげた、オールスタークラスの連中は商学部、文学部に進学します。

このような環境が慶應を腐敗させているのではないでしょうか

自分は身内も、友達も慶應にいたりするんで、大学で問題とならないように高校にも目を向けてほしいです

(修正)

これらの話は全て妄想です。そもそもこのハテナダイアリー自体が妄想という設定ですから

また、さらに加えて言えば、私自身が慶應出身というわけではありません。

*1:当然自由席だが、やつらがいつも座る席が決まっていて、知らない新入生なんかが座るとボコされて金を請求される